2019.10.30
父は肺癌の為、亡くなりました。
享年68歳でした。
父は10年前に脳梗塞を起こして倒れ、そこから言葉がうまく出なくなったり片足がうまく動かせられず歩行器を使っての移動。
トイレも自力で行けたのですが、思うように体が動かせられずに間に合わないこともしばしばでてきたので介護用オムツを着用するようになりました。
要介護認定がおり、脳梗塞でお世話になった病院のケアマネの方からリハビリの一環として通所の障害者作業施設を紹介してもらい、週に2回通ったりしていました。
病気が発覚したのは8月の末。
その前のゴールデンウィークあたりに咳をしたり胸のあたりの苦しさを訴えるようになったので病院で診てもらうと、レンタルゲンで影が見つかり、その時は肺炎と診断されました。
熱もあったのでそのまま入院。
退院後は熱は無いものの胸の苦しさは残っていたようです。
痛くてもうまく言葉で伝えられないイライラから、介護をしてくれていた母に怒鳴り散らしたり、痛みがあると夜中でも叫ぶので母も眠れず父に対して怒ったり…と、お互いにストレスが溜まっていたようです。
8月のお盆が過ぎた頃、かかりつけの個人の病院で見てもらったところ「やはり影があるので大きい病院で検査が必要です」との事だったので、総合病院に行き再検査を行いました。
しかし、その時もMRIを嫌がって怒鳴って暴れて大変だったようでなかなか検査が進まず、やっと検査を終えて結果が出た時には
肺癌の末期。
「そりゃぁ痛いわけだよ」
母から電話で知らされた時、どこかそうでは無いかと思って覚悟していたこともあり、ぽろっと出た言葉がこれでした。
寿命は持って半年。あと2.3ヶ月。来年は迎えられるかどうかとのことでした。
痛みは癌が肋骨に浸潤しているのが悪さしていたようです。肋骨のあたりは神経が通っているので痛みも相当とのことでした。
寿命を聞かされた時、そこまでは覚悟しておらず、その時に"頭が真っ白になる"を初めて経験しました。
すぐ父に会いたくなり、少しでも側に居たいと思い、次の日には入院している病院に2人の娘を連れて会いに行きました。
その時はベットに横になりながらも冗談で笑ったり孫達を見て目尻が下がる顔も見れて、不思議と安心して帰宅したのを覚えています。
それから、見舞いに行ける日は、幼稚園から長女が帰ってきたと同時に車に乗せて病院に向かい、おやつをじい(じいちゃん)のいるところで食べる毎日を送っていました。
父も孫達に会うと表情もにこやかになり、頑張ってゆっくりと起き上がったり、ベッドで横になった状態で帰り際に手を振ってくれたり…
父もそうですが母も私もこの時ばかりは、ただただ楽しい笑顔の時間を過ごすことができたのではないかと思います。
父の入院している総合病院は以前、私の祖父母が入院の果てに亡くなる間際に病室を移されてそこで亡くなりました。皆癌で亡くなったのですが、その時の病院の雰囲気は暗く閉鎖感があり子どもながらに怖かったのを覚えています。
父も同じ癌になり、もう治る手立ては無く、最期はをこの病院で過ごすことになるとなると、そのような最期を迎えさせるのが可哀想な気がしたので、母にその旨を伝えて緩和ケアのある病院に転院するのはどうかと提案しました。
緩和ケアとは、がんと診断されたときから行う、身体的・精神的な苦痛をやわらげるためのケアです。
引用:http://www.kanwacare.net/kanwacare/
福祉の大学に出ていたこともあり、緩和ケアは知っていましたが、母はほぼ知らない状態でした。しかし、祖父母の時の病院の雰囲気や今の看護師さん達の声かけのキツい感じ(父の2人部屋のもう1人の方が父のロッカーを間違って開けようとしてしまった時に、ある看護師さんが「ねぇ、開けないでって言ってるじゃん」とお年寄りに言っていた…等)
を感じていたので、そういうところがあるならとすぐにケアマネの方に連絡して動いてくれました。
運良く、近くの病院で緩和ケア病床があり、またまた運良く1人空きそうな状態(一時退院される方がいた)だったので、トントンと話が進み、1週間後には転院が決定しました!
本当にありがたいです。
問題は、父にどう伝えるのかということ。
緩和ケアを母が知らなかったと同様に父も知らない可能がある。しかし、なぜ転院する必要があるのかを疑問に思うとおもうのでしっかり伝える必要があると感じました。
しかし、その後に行われた緩和ケア病床での面談を通じて、転院に対して以前にも増して前向きな気持ちになり、父にもこんなに良い病院なんだよ!と嘘偽りなく話せると思い、面談後は安心した気持ちになりました。
転院前の緩和ケア病床での面談・説明は院長先生と看護主任の方と病院のソーシャルワーカーの方としました。
母と私の2人で話をしに行きました。
面談内容は父がどの程度病気が進んでいて、どんな程度の介助が必要なのか。前の病院で飲んでいた薬の数や種類などの父に関すること。
また、緩和ケアとはどんなことをしてどんな風に過ごすのか、一般病棟との違いなどを教えてもらいました。
質疑応答の場では、父がもしものことが起きた時にどんな風になってしまうのか、苦しんで死んでいくのか、その苦しみはどの程度取り除けるのかを院長先生に伺いました。
話を聞いて、死を準備している感覚になり急に死が近く感じて少し気が動転していましたが、院長先生は優しく、細かく親身に教えてくださいました。
「肺癌ということもあり、だんだん呼吸が苦しくなります。免疫力が低下しているので何か合併症になって急に亡くなったり…と亡くなり方は人それぞれなのでなんとも言えませんが、痛みに関してはその都度薬を投与して緩和させていく方針です」
とのことでした。
緩和ケア病床は同じ棟に内科があり、その一画を仕切り、家庭的な雰囲気で落ちた中で過ごせるようにしたところで、一般病棟のようにナースセンターのピコピコ音が無くクラシックが流れていました。
また、家族は24時間出入りok・泊まりokなので家族も時間に縛られずに、患者とゆっくりと過ごせるのがすごく良いなと思いました。
午後から仕事をしている母や午後から長女が帰ってきてバタバタしている私にとって、午前中にゆっくり見舞いに行けるので、それだけでも転院して良かったとすぐ実感しました!
また、患者には最期まで人間らしい生活をとのことで患者の想いを汲んで、本人の希望があれば医師と相談して食べたいもの飲みたいものの持ち込みok・なんならお酒を少し嗜むくらいはok4だったり、本人の希望があれば家で使っていた馴染みの食器などを使って食事を取るのもokとのことで、話を聞いていて暗く怖い病院のイメージが払拭されました。
面談後、病院を出てから駐車場に向かう間母と「ここなら安心だね!」と、意見が一致してお互いにホッとしたのを覚えています。